[06.09/]
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拙宅の守屋は馬子を相手にしてる時が一番いい表情をしていると思う。
人ってさ、対峙する相手によってわりと人間変わるよね。それが悪いとかじゃなくて、それが人間のコミュニケーションの取り方なんだと思う。中学の時、数人の友人と話しながら帰ってる時、とある友人の私に対する話し方接し方と別の友人に対する話し方接し方が105°くらい違って驚いた記憶がある。だから人に二面性があるとか、キャラが変わるとか、それは今まで自分に見せていなかった部分がたまたま出てきただけの話なんだよね。だから自分に見せる表情だけでその人の人間性を決めつけるんもんではないんだろう。人間て複雑。おもしろーい。
急に何言い出してんだろうな私は。だから、このキャラはこのキャラに対してはこうで、別のキャラに関してはこう…ってのを考えるのが楽しいんだ。何言ってんだろうな私は。
再開してからずっと渡来系の人たちの話を描きたいと思ってたんですけど、アンソロ原稿脱稿して落書きに丁未の乱の馬子側の人たち描いたら頭の中がすっかり丁未モードに陥ってしまいまして候…
アンソロ原稿は終わったのでアンソロが発行されたあかつきにはちゃんと載ってるかと思います。よろしくお願いします。腐カプ有りの大体なんでもアリのアンソロですがウチはやはり今まで通りです。
あとここに来られる方は大方ツイッターかピクシブを経由されているかと思いますが、一応aboutの自己紹介のあたりにツイッターとピクシブのリンクを張り付けておきました。まとまった漫画はサイトに優先的にあげますが、絵に関しては溜まってから更新をするので、リアルタイムで描いた絵を覗きたい方はツイッターの方で。
「ぼくがかんがえた丁未の乱」の段取りが大分固まってきたんです。なんかね、志方さんのをか.しを聴いたら自分の中の丁未の乱ボルテージがギューンと上がりましてね。休んでる頃は丁未の乱はどんなに長くなっても本にしようと思っていたんですが、今は別にサイトに乗っけるでもいいかなと思っております。まあ本にするのはしようと思えばいつでもできるわけで…たぶんな。
遠足とか旅行ってさ、本番よりその前の準備が楽しいじゃない…同じように今私は乱にいたるまでのあれやこれを考えるのがとても楽しい。特に馬子とその他マエツキミクラスの有力氏族がどうこうしてるのを考えるのが楽しい。楽しいぞ!!描けよ!!!!!
創作当初の頃は守屋は中臣勝海とか穴穂部皇子とか一緒に行動してそうなのがいるけど、馬子はそういうの全然いえねえなあ摩理勢くらいか…と思ってたけど、今にして思えば大臣だし有力氏族との駆け引きやら意見調整やらはしていたはずだし絶対的なワンマンだったわけじゃないんだよね…と思ってああやっぱり馬子考えるのめっちゃ楽しい古代史楽しい。
「古墳時代は豪族の力が大きかった」をやっと最近理解できたような気がします。
脈絡はないけど今回も勝手にやります創作キャラ語り。
おっと、脈絡がないのはいつものことだったな…
今回は守屋だぞ!
ログでは二番目にきてるけど、一番最初にデジタルで描いた二人。
ほぼ馬子と同時に考えたなあ…守屋。いっちばん最初に考えたのが納得いかなくて何度も考えたけど結局最初のとそんなに変わらない感じで決まった守屋。馬子よりすっきりしてるのに時間がかかった守屋。
物部守屋は崇仏論争に始まり蘇我馬子と対立して滅ぼされたことで有名っすね。そして歴史創作界隈で圧倒的な人気を誇る…なんか創作始めた当初も友人に守屋が気に入られていたし、さらに以前別の友人から守屋が気に入ってると言ってもらえたんだが…この守屋人気って一体…
あと物部氏がワニ系氏族って言われてることが未だによくわかってないんだけど、なんでなんだろう…まだ調べられる機会がないんだけどそのうち調べたいな…
はいこちらが守屋の変遷になります。馬子のログより圧倒的に少なかった。馬子が多いんだなすまん。
青が多い。馬子(蘇我氏)のイメージがエネルギッシュで暖色なので守屋(物部氏)は対照的にクールで寒色のイメージです。
守屋はそこまで変化はないですが、唯一頭のお団子を包むものが変わりました。これは割りと最近のことで、運動会本からです。最初はまとめた髪を細い帯でぐるぐるにしてる感じだったんですが、それすらも面倒になって普通に包ませました。怠惰な野郎ですよまったく…女郎ですけど。
守屋に関しては馬子と絡ませる他は兄弟と少し絡ませるくらいしかしていないのでまだネタの伸びしろがあるなあと思っております。心中とかまだ全然掘り下げてないんだよなあ…もう蘇我氏に夢中すぎてすんません。物部氏も知りたいですもちろん知らなさ過ぎて…
物部氏に関してそんなよくわからないんだよなあ…雄略朝で大伴氏と一緒にその軍事力が専制をする上での重要な要素だったっていうのは某大物歴史学者I.M.先生の論文で知ったけど、物部氏って大伴氏と比べてみれば、たぶん元々は「物」を生産か管理する氏族つか集団だったんだよな…それが転じて武器中心になってって軍事氏族になってったってどこぞの先生も言ってた気がする。物の生産管理が分業化するって王権の拡大に伴うものだとは思うのだけど、葬式系って土師氏が担当だろ…中臣氏は祭祀系ってのは知ってるけど、天皇の補助含めて祭祀をする氏族ってことでいいんだろうか…祭祀に使う道具まで中臣氏の管轄?そこは土師氏も関わるのか、物部氏が関わるのか…伴造系氏族って謎が多いよな…だから研究もそんな進まないんだろうか…いや私が知らないだけか…本を読もう。
以上だぜ。あっさりとかいうな。
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